mixi日記からほぼ転載だけど、とりあえず書いておきたい事なのでこちらにも。
今日は悲しいニュースがあった。新潟の地震で土砂に飲み込まれた自動車の中から救い出された、子供の母親が死亡したこと。これが本日一番のバッドニュースだった。
救い出された息子は奇跡的な軽傷であり、考えようによっては、まさに母の愛の力によって守られたと世間は語るかもしれない。確かにあの事故で一人でも(現時点で長女の安否は不明) 生存者がいたというのは、一般的には奇跡と呼ばれる類のものだろう。
しかし傍目にはそう見えようが、本人や家族にとっては誰か一人が欠けてもそれは「奇跡」ではなく「悲劇」だ。確かに一人でも助かった事を私も嬉しく思うし、良かったと思うが、やはり彼らが未だ悲劇のただ中にいることは間違いなく、神が用意した今回のストーリーは救いのないものだ。
この件を含め、今回の地震の当事者たちは、みな悲劇を演じる舞台の上に立つ俳優である。そしてその幕は未だ下ろされず、彼らは心安まる時もないまま、自らの人生を賭けて舞台の上で割り振られた配役をひたすらに演じる。我々観客はその様を見て涙するが、彼らを救うことはできず、ただその姿を見続けることしかできない。舞台の演者達、観客である我々、そのすべてが大いなる悲劇に飲み込まれている。
まずは、明日義援金を振り込んでこようと思う。たとえそれが偽善と言われようと、何もしない独善よりは偽善の方がよほどマシだ。神が仕立て上げた「悲劇」という演目に対してささやかな抵抗を。たとえ全てが掌の上の出来事であろうとも。
この度の地震の被害に遭われた全ての被災者の方にお悔やみ申し上げますとともに、一刻も早く元の生活に戻れますことを心よりお祈り申し上げます。
また上記に記載しております、俳優・舞台・演者等の文章につきましては、この地震による被害をひとつの舞台としてとらえた比喩であり、決して現実の災害の被災者である方々を軽視したり、侮蔑するような意図で書いたものではありません。
個人的備忘録と友人用にメモ。
10/29